変わり続ける街【六本木】を撮って来ました
突然ですが「六本木」にどんなイメージを持っていますか?
ギラギラとした繁華街、大企業が集まるビジネス街、セレブの暮らす高級住宅街など、様々でしょう。
子供の頃からテレビなどで散々と耳にしてきた「六本木」というイメージと、実際に訪れた際の印象が違ったという人も多いのではないでしょうか。
私の場合がそうでした。
80年代ディスコブームのイメージが強すぎたのか?
夜の社交場、派手な街、ピカピカ、ギラギラ、ガチャガチャ。ぼんやりとそんなイメージでした。
今の若者が持つイメージはまた違うでしょう。
「港区女子」という言葉があるように、セレブが住む高級感ある街といったところでしょうか。
これほどまでにイメージが多様化している理由は、六本木という街が時代ごとに大きく変化しているからだと考えられます。
六本木の変化の歴史を簡単に解説します。
江戸時代
高台が多く見晴らしが良いという立地から、神社や寺院が多く造られました。
それを機に大名などが住むお屋敷が増え、武家屋敷(大名屋敷)街へと発展しました。
明治時代
武家屋敷などの広大な敷地があることと住人が少ないことから、日本軍の施設が建設され、兵隊さん達が住むようになったことで軍人の街へと変わっていきました。
終戦後(1945~)
戦争に負けたことで軍事施設はアメリカさんに接収され、六本木はアメリカ兵の街へと変貌していきました。
クラブやダンスホール、外国のレストランやキャバレーなどが増えていきます。
昭和中期(1950年代~)
日本の施設が返還されていくに連れ、アメリカ兵も徐々に減っていきました。
が、アメリカ兵が利用していたようなショップはそのまま残った為に、アメリカなどの海外文化に憧れを持つ日本の若者たちが集まるようになりました。
また、テレビ局(現テレビ朝日)の本社が造られたことで、芸能関係者などの業界人も多く集まるようになりました。
芸能人が通うVIPなクラブなども増えていったそうです。
この頃の六本木は、若者が集まる若者の街であり、芸能関係者が遊ぶ夜の街でもありました。
昭和後期(1980年代~)
バブル全盛期にはディスコブームが旋風し、六本木の派手さも加速します。
お立ち台、ボディコン、ミラーボール、ネオンの街。
同じように若者の街である新宿が庶民的な歓楽街だったのに対し、六本木は洗練された繁華街だったといわれます。
周辺に大使館なども多く、国際的な雰囲気を併せ持っていたからでしょう。
平成初期(1990年代~)
バブルが崩壊すると、街の賑わいが一気に冷めました。
ディスコは続々と閉店し、若者は離れ、少々ディープな街になり始めたようです。
再開発期(2000年代~)
2000年に「大江戸線」が全線開通。
六本木へのアクセスが格段に良くなり、再び人が集まり始める。
2003年に「六本木ヒルズ」が開業。
IT企業や外資系企業などが集まり、セレブが集まり始める。
2007年に「ミッドタウン」が開業。
更なる利便性が増し、ハイエンドな街へと進化する。
こうのように2000年代に入ってから、洗練された大人の街になりました。
そして、今ではインバウンドなどにも大人気の観光地的な魅力も持つようになったのです。
続く再開発期(2030年頃)
まだまだ変化の途中です。
2030年には「第2六本木ヒルズ」なるものが竣工される予定です。
六本木は東京都市開発のモデルになるほどの変容ぶりで、再開発の成功パターンとして語られることも多いです。
六本木の歴史を簡単に説明したところで話を戻します。
私にとっての六本木のイメージ、それはどうやら昭和後期の姿です。
ギラギラ、ピカピカ、ガチャガチャ
でも、現実の姿はそうではありませんでした。
再開発が進む裏にある、人気(ひとけ)が去ったままの街の姿が印象的でした。
今回はそんな六本木の写真を紹介していきます。













どうでしょうか、なかなかディープですよね。
この辺り一帯も再開発によって華やかな観光地へと化すのでしょうか。
色んな側面を持つ六本木、緑も多いです。


色んな所から東京タワーを見ることが出来ます。



余談ですけど、とにかく六本木には坂が多いです。
芋洗坂、鳥居坂、御組坂、閻魔坂などなどたくさん。
「六本木ヒルズ」も「hills(=高台)」という名前が付くくらい高低差のある地形になっていて、周りが坂道になっています。
東京の坂についてはいつか別記事で特集します。
撮影日:2024年3月

